葬儀をしなかった本田宗一郎氏のお礼の会

葬儀をしなかった本田宗一郎氏のお礼の会

「社葬はするな。車やオートバイのおかげで生きてこられたのに大げさな式を出して自分の葬式で交通渋滞を起こすような迷惑はかけられない。」“世界のホンダ”を創り上げた本田宗一郎氏の社葬が行われなかった理由は、そんな遺志があったためだそうです。

葬式・お通夜・弔電・献花一切なしという前代未聞の知らせにやはり社員、関係者は驚きを隠せなかったそうです。会社の創業者が亡くなった場合、社葬が営まれるのが一般的になった現代において、ここまでの偉人であるにも関わらず社葬が行われなかったというのは実にまれな話だったのではないでしょうか。

そこで1991年、84歳で本田宗一郎氏が亡くなった年、葬儀の代わりに行われたのが「お礼の会」でした。東京の本社ビルや全国各地にある研究所や製作所6ヶ所において、3日間に渡り行われたそうです。お別れの会ならず「お礼の会」は、もちろん宗教色はなく、本田宗一郎氏を支えた人たちが故人のために感謝の気持ちを捧げる場とすることが趣旨とされたため、会場には遺影と、メッセージ、音楽、ビデオが流され、参加者の談笑の声の飛び交うような温かな会となったそうです。

ホンダの歴史を飾った初期のオートバイと自動車も展示され、会場内に掲げられたメッセージには「皆様のおかげで 幸せな人生でした どうもありがとう 本田 宗一郎」という、本人からの言葉が、日本語と英語で、参加者に向けて贈られていて、みんながこのメッセージの前に立ち尽くし涙したといいます。

本田 宗一郎という人柄が伺え、お別れのときが来たことを参加者が実感した瞬間だったのでしょう。会場に流れるモーツァルトの曲を背景に、焼香があるわけでもなく、参加者は全員平服というラフな服装で故人との別れを惜しみ、本田宗一郎氏の希望を叶えた、遺志を尊重した会となったようです。

当時の総理大臣だった海部総理ですら門前払いだったという徹底した統率を聞くと本田 宗一郎氏のすごさを改めて知らされます。1991年といえば、日本で初めて海に散骨した自然葬が行われた年でもあります。従来の葬儀の形をとっぱらった新たな葬儀スタイルの始まりはこの頃からだったと言えるのかもしれませんね。

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